2001年5月8日、NHKーBS2において一本のアニメ番組が始まりました。その名は『学園戦記ムリョウ』…あれからもう9年の年月が流れました。佐藤にとっては初めての原作オリジナルでもあり、その当時の注げるだけのありったけを注ぎ込んだ思い出深い作品です。
『ナデシコ』をテレビ版、劇場版と続けて作って、心にポコッと何か抜け落ちた感覚が起きた頃、かわりにムクムクと湧いてきた別の企画への思いと、フレーズが二つ。それは「街」そして「番長」。当初、ムリョウは『番長戦記ムリョウ』というタイトル(仮)で、もう少しバトルメインの伝奇モノ的な色合いが強かったのです。ロケハンを個人的に行う際、阿僧祇の住む「おやま」のイメージである長野山中と、始の住む天網市のイメージである大磯町…どちらを先に行ったものかなと考えて、結局土地カンがいまだ残る大磯にまずは行ってみるかと決めたことが、おそらく『ムリョウ』の作風を決定づけたのだと思います。「おやま」のイメージが先行していたら、かなり荒ぶる作品になっていたでしょう。天網流の描写や19話『きよらなる、拳』の守りびとの死屍累々は、その辺りの名残でもあります。『番長戦記』のままであったなら、戦いと日常の割合はおそらく逆転していたかもしれません。
当時の企画書にはこうあります。
企画書 番長戦記ムリョウ
〈はじめに〉
ムリョウは無量無辺、無量大数の無量
ムリョウ=ゼロ、存在虚無の無量
果てなき膨張
限りなき縮小
終わりは始まり
始まりは終わり、そしてまた始まり
なかなか人の世はそうはいかない
自ら閉ざす未来、自ら築く未来
つまり己の行く末を、人は己の意志によって決める
進むも退くも己次第なのだ
この物語の登場人物はみな精一杯生き、“何か”を掴んで進む
自分で決めて生きていくことの、つらさ きびしさ 素晴らしさ
彼らは求道者でもなければ夢想家でもない
普通の心、普通の思いを持つ少年少女
この物語を見た人たちが、例え一瞬でも心に熱いものを感じてくれたなら
この物語を見た人たちが、例え一瞬でも心に温かなものを感じてくれたなら
皮相ではなく、批評ではなく、文字通りな少年たちのドラマ、そして活劇
今のこの時代だからこそ、作っても良いのではないだろうか?
〈ストーリー〉
時代は近未来2021年、舞台は日本。
地球の衛星軌道上には数多くの情報衛星が周回し、世界規模の情報ネットワークの構築はすでになされていた21世紀。
しかし、情報の盲点、敢えて忘れ去られていたかのような“陸の孤島”が存在していたことを知る者はいなかった。
日本中部のさる山地――国土地理院の地図には何の変哲のない等高線が描かれているその地域には多くの秘密が隠されていた。遺跡、秘宝、そして謎の“仙人”の存在。
物語は、仙人に育てられた一人の少年が、その“孤島”から、情報の渦巻く下界へと旅立つところから始まる。
折しも頻発する異星人の“侵略行為”の数々。
東京を襲う巨大怪獣、怪ロボット、謎の舞踏団の暗躍───
迎撃する自衛隊や警視庁だが宇宙人相手では為すすべもない。
そして突如出現する正義の味方たる“宇宙連邦監視員”。混乱する社会。
そんな中でも日常は営われ、主人公が転校してきた学校では対立する二グループの抗争が密かに行われ、彼は成り行きでその争いに巻き込まれていく。
しかし、その争いこそが地球の命運を握っていることを主人公は知らない。
そして更には、主人公の出自が宇宙連邦をも巻き込む大事になることも──
えーと、想像される作風が全く違いますね。後々、この企画書でイメージを膨らませていた大月さんに放送時、「ロボットはどうした!?」と怒られることになります(笑)。
そんなこんなで佐藤は、最初のロケ地として大磯を選びました。久しぶりに訪れた街…通学路そして学校、山の上から見た海の輝き、木々の緑の優しさを見て、僕の気分は荒ぶるモードからガラッと変わりました。
『街』を、そして『人々』を描こう──
かくしてムリョウは『学園戦記ムリョウ』になり、独特の作風になりました。
今でも「昔見ていました」「大好きでした」と声を掛けて下さる方が多く、中には親子揃って見て下さっているとかいないとか。来年には10周年です。放送されては消えていくのがテレビ番組の常ですが、今なお熱心に支持して下さっている方達が多いのには感謝の気持ちでいっぱいです。というわけで、大きな節目を迎えるに辺り、公式ページもリニューアル。放送当時を振り返る企画を色々予定しております。
追伸・これから少しずつでも、お金を貯めておく事をお勧めします。何かいい事があるかもしれません(笑)。
|